「生かされた命を大切に」
いわき語り部の会幹事 小野 陽洋さん(平豊間)
「太陽の『陽』に太平洋の『洋』でアキヒロ。ヨーヨーって呼ばれています」。小野陽洋さん(30)=平豊間在住=の自己紹介はいつもここから始まる。その名に刻まれている通り、太平洋を臨む海の町に生まれ育った。壮絶な震災経験を経てなお、ふるさと豊間に離れがたいものを感じ、そしてここに戻ってきた。現在は区の情報発信を手伝いながら、震災の経験を次世代に語り継ぐ〝語り部〟の活動にも力を入れている。
震災時は20歳で福島高専の卒業式直前だった。自宅2階リビングで祖母とともに様子を見ているうちに津波の第二波が到達。濁流にのまれながらもそろって生還した。いわき震災伝承みらい館を拠点に活動する「いわき語り部の会」では、九死に一生を得た経験を多くの人に伝えている。
活動のきっかけは各地に大きな爪跡を残した東日本台風の洪水害。避難情報が出ていたにもかかわらず、多くの人が逃げ遅れていたのを知り、「自分と同じ思いをする人をこれ以上増やしたくない」と決断した。講話では自分の失敗を包み隠さず伝え、「まず逃げて、そして助かる」ための行動を、印象深く呼びかける。災害に対していかに当事者意識をもてるか。言葉一つひとつに力がこもり、聞いている子どもたちも静まり返る。
震災は、生まれ故郷とのきずなを再認識した経験でもあった。自宅が全壊した被災直後、全身ずぶ濡れで逃げ込んだホテル塩屋崎ですでに、「豊間に戻るんだ」という漠然とした思いが芽生えたことを覚えているという。その内なる声に導かれ、やはりこの町に戻ってきた。
「生かされた命を大切にし、間違った行動をとってしまった罪滅ぼしをしたい」。亡くなった人への思いを胸に、区が主催した復興後のまちづくりを考えるワークショップにも複数回参加。ふるさと豊間復興協議会の若手メンバーとして、情報発信の担い手となり、令和2年に発足した「とよま灯台倶楽部」では部長にも就任。この10年で学生から社会人となり、名実ともに豊間のキーパーソンになっている。
休日はいつもミントグリーンの愛車で駆け回り、たくさんの人との縁を結ぶ小野さん。豊間の魅力を聞くと「やっぱり海ですかね。海がない生活は寂しいって思ってしまいますね」と笑った。