小学校のときの学校給食の思い出に、その日、病気で休んだクラスメートの家へ給食の食パンを誰かが届けるという慣習があったのを覚えている。昭和40年代のころだ▼思い返しても自覚はないのだが、今のようにモノがあふれている時代ではなかったのだろう。衛生面からか今はそれがない。休んだ人の分はみんなで分け合って食べる。「インフルエンザで半数くらいが休んだときは、食べるのが大変だったよ」とは娘の回想だ▼市文化センター地下カフェ食堂の「学校給食フェア」が人気だと聞いて、廃校になった小学校の校舎を活用し、机もいすも黒板もそのままに、学校給食をメニューにした食堂としてオープンした地域おこしの例を思い出した▼手にするのは先割れスプーン。ソフトめんに揚げパン、脱脂粉乳やクジラの竜田揚げなど、大げさに言えば食文化の掘り起こしにつながるのだが、田人か三和か、どこかの旧校舎でやってくれないかと密かに願っている。