患者さんあっての病院。旧市立総合磐城共立病院の初代院長・畠山靖夫氏の言葉だ。患者を診ることに対しては「『待って』は許されない。病院は常に臨戦態勢だ」と厳しく語ったという▼秋田出身の畠山氏は東北帝大(現・東北大)で学び、医師として日本統治下の台湾で尽力。戦後は大学に復帰したあと、1950年の共立病院開院とともに院長に就任した。共立の名は旧平市と石城郡29町村の組合立に由来する▼開院当初、医師は畠山氏を含む5人。資金難に苦しむも、院長自ら先頭に立ったと残る。診療科を少しずつ増やし、62年に総合病院として認められ、現在の医療センターまで歴史を紡いでいる▼ひょんなことから、医療センターに初めて入院した。現場では医師のみならず、看護師をはじめとするコ・メディカルもそれぞれの仕事に汗を流していた。医療の問題は市長選でも争点となった。医師招へいとともに、ぜひ現場の人たちを後押しする施策も期待する。