阪神・淡路大震災後、復興状況を伝える書籍等を節目ごとに追っていた。結局「対岸の火事」への好奇心だったと思う▼今、東日本大震災関連特集は「あらためて見たくない」「見なくても分かる」心情だ。うずたかいがれきも建物解体後のさら地も、吹く風や舞い飛ぶほこりの感触とともに、じかに知っている。その上、放射線量測定器がまちのあちこちにある日常を送っている身だ▼社に届いた近畿の地域紙、投書欄に「なぜ東日本のがれきを受け入れねばならぬのか。被災地域で処理できない理由を十分に検証すべき」との意見があった。われわれにすれば、仮置き場のがれきの山を目の当たりにし(放射能問題が課題とはいえ)広域処理はやむを得ずと思うのだが▼往時神戸でボランティア活動をした友の感想を思い出す。「地震に伴い起きた火事跡のにおいがひどかった」、そう聞いても実感がわかなかった。自分が現地にいて初めて分かる―同じことかもしれない。