山間部に住んでいながら、集落の人たちにとってふるさとの山は近くて遠い存在になっている▼半世紀以上も昔になるが、そのころはまだ住民は山に入って畑を耕し、堆肥用の落ち葉をかき集め、薪にする木々を伐採した。クリの実やユリの根など山の幸にもありつけた▼日常的に人が入っていれば山は荒れたりしないが、人が遠ざかればそこはたちまち荒れ、道も枝葉が複雑に絡み合って覆ってしまう。もっとも、そこに道路が通るとか宅地開発されるとかになれば、自分の持ち山は、その境界線はどこ……と大騒ぎになるだろう▼きょう午前6時。わが集落の裏にある小さな山で「お山終い」というささやかな行事が行われた。年に1度、山の神様に感謝をする日だが、道は竹や雑木で遮られ、それらを刈り払いながらの山登り。中腹と山頂にある祠の周りの雑草を刈ってきれいにし、お神酒と赤飯、酢の物を供えた。周辺の畑はもうないが、神妙に山の神様へ手を合わせた。
山間部に住んでいながら、集落の人たちにとってふるさとの山は近くて遠い存在になっている▼半世紀以上も昔になるが、そのころはまだ住民は山に入って畑を耕し、堆肥用の落ち葉をかき集め、薪にする木々を伐採した。クリの実やユリの根など山の幸にもありつけた▼日常的に人が入っていれば山は荒れたりしないが、人が遠ざかればそこはたちまち荒れ、道も枝葉が複雑に絡み合って覆ってしまう。もっとも、そこに道路が通るとか宅地開発されるとかになれば、自分の持ち山は、その境界線はどこ……と大騒ぎになるだろう▼きょう午前6時。わが集落の裏にある小さな山で「お山終い」というささやかな行事が行われた。年に1度、山の神様に感謝をする日だが、道は竹や雑木で遮られ、それらを刈り払いながらの山登り。中腹と山頂にある祠の周りの雑草を刈ってきれいにし、お神酒と赤飯、酢の物を供えた。周辺の畑はもうないが、神妙に山の神様へ手を合わせた。