戦後の日本を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」などの作品で知られる谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが亡くなったことが19日、分かった。老衰のため、13日に東京都内の病院で死去した。92歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男賢作(けんさく)さん。後日、お別れの会を開く予定。
いわき市との縁も深く、いわき芸術文化交流館「アリオス」が2008(平成20)年4月に開館する際、4編で作られた組詩「アリオスに寄せて」を書き下ろした。
谷川さんは2007年10月に来市し、当時のスタッフら20人あまりと車座になり、新しいホールに対する意見を聞き取って作品につなげた。いずれの詩もレリーフとなり、同館の入り口に飾られている。
開館時から在籍する施設運営課文化活動促進グループの佐藤仁宣さん(46)は、同館の広報誌「アリオスペーパー」のインタビュー取材に同行し、2008年2月に東京都内の谷川さん宅を訪れた。「まさに近代以降の文学を網羅し、戦後の文化を作った一人。あの時の感動はいまでも覚えており、16年前の自分たちの言葉が『アリオスに寄せて』に込められていることは感慨深い」と語る。
いつでも「いま」しかない/どこにも「ここ」しかない/そのために過去に学び/そのために未来を夢見て/生きる/人知れず咲いている一輪の野花とともに/ただよいながら形を変えてゆく雲とともに/うつろいやまない人々のココロとカラダとともに/いまここで踊る身体/いまここで奏でられる音楽/いまここで語られる言葉(「アリオスに寄せて」より「いまここ」)
いわきアリオスの副館長・支配人の長野隆人さん(48)は「俊太郎さんは『詩を神棚に飾るようなことはせず、使い倒してほしい』と話していた」と振り返る。組詩は合唱曲をはじめ、さまざまな形で公演に昇華され、開館10周年に当たってはアートユニット「tupera tupera(ツペラツペラ)」によって、詩の神さまとしてキャラクター化された。
「俊太郎さんにはもちろん企画書を送るのですが、いつも間を置かずに『いいよ』と気軽に電話を頂戴した」と長野さん。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、文化芸術が難しかった2021(令和3)年5月にはオンライン配信で、組詩から「ハコのうた」が楽曲になって届けられた。
「少しずつ俊太郎さんを直接知らない世代が増えていくが、その言葉は読む人に変わらずしみこんでいく。悲しいけれど、大切に受け継いでいきたい」。いわき市の文化芸術に、これからも谷川さんの思いが刻まれていく。
(写真:谷川俊太郎さん=2023年4月 読売新聞社配信)