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アリオスペーパー通算100号に いわき市民に文化芸術伝え続けて17年超
いわき芸術文化交流館「アリオス」の広報誌「アリオスペーパー」が、12月4日発行分で通算100号を迎える。
2008(平成20)年4月のオープンに先立ち、07年7月に創刊準備号として、最初の0・5号が世に出てから17年5カ月。東日本大震災やコロナ禍を乗り越え、市民に芸術文化を伝えてきた媒体が一つの節目に到達した。100号は館内での配布が始まっている。
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「当時のスタッフと、ああでもないこうでもないと作った日が懐かしいです」と語るのは、副館長・支配人の長野隆人さん(48)。音楽専門誌の編集担当から転じて07年5月に着任し、まだ海の物とも山の物ともつかないホールについて、どう表現するか悩んだ。
開館に伴い、小名浜出身の世界的指揮者・小林研一郎さんとNHK交響楽団による公演に照準を合わせることに決め、インパクトある創刊準備号の0・5号を手がけた。「12稿まで重ね、当時担当した会社と険悪になりました」と笑う。
0・6~0・9号と続き、第1号は08年5月に発行。ワークショップ一つとっても、市民にどう伝えるか悩んだ。「皆さんの生活が少しでも豊かになるよう願っていた」という。
デザインや写真に関しては一般市民からも採用。それぞれ職員が知恵を絞ってきた。アリオスペーパーの起用をきっかけに、プロフェッショナルとして活躍する人材も多い。
震災による休館を経て、11年8月の20号も忘れられない。原発事故に伴い、屋外での遊びが制限されていた頃だが、同館のデッキで子どもたちを交えた写真を撮影して表紙を彩った。「この時に写っている子の中には、いまでもアリオスと縁がある方もいる」と目を細める。
新型コロナウイルスの感染拡大が始まった20(令和2)年3月の72号は特別号で、間に挟んだ号外に「劇場は死なない」の文字が躍った。年間通じた高校生・高専生による演劇が、何とか無観客で本番にたどり着いた様子などをつづった。
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アリオスペーパーはウェブでも読める。同じく発行に携わった施設運営課文化活動促進グループの佐藤仁宣さん(46)は「広報誌の役割は時代と共に変わっている」と話す。「しかし今後どのような形で発行されようとも、読んでもらう方のために、若いスタッフと一緒に制作していきたい」
100号の表紙では、開館時に詩人の谷川俊太郎さんが送った組詩「アリオスに寄せて」から、「場」を紹介し、作品に合わせいわきアリオスの一日を写真で表現した。くしくも谷川さんは13日に92歳で亡くなり、その思いが人々の心に刻まれている。
アリオスペーパーを巡っては、新機軸を打ち出せないか意見を交わしている。ただ本質は変えない。
いわきアリオスのホームページ<こちら>では、0・6号以降のアリオスペーパーが閲覧できる。100号は順次、市役所本庁舎などの公共施設にも置かれる。
(写真:歴代のアリオスペーパーを前にする長野さん=左=と佐藤さん)