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震災15年 水産振興の『伝道師』として いわき魚塾の塾長・鈴木孝治さん
東日本大震災による東京電力福島第一原発事故によって、いわき市の水産業は大きな打撃を受けた。近海での漁は自粛を余儀なくされたものの、ようやくいわき沖でも試験操業が始まった1カ月後の2013(平成25)年11月、鹿島町の市中央卸売市場に構える仲卸業の関係者を中心に、ある団体が立ち上がった。
その名も「いわき魚塾」。折からの魚離れも受け、ここが踏ん張り時と水産振興に対する決意を込めた。皆でいわきの海を残したい――。いまでは『魚の伝道師』と呼ばれるようになり、地元のため各種イベントに奔走している。
「アンコウは投げる(捨てる)ところない。骨だって出汁になる」。いわき魚塾・塾長の鈴木孝治さん(64)=山常水産代表取締役=が吊り下げられたアンコウを前に軽妙な語り口で紹介すると、集まった子どもたちは目を輝かせていた。
毎月7日の「魚食の日」にちなみ、7日に道の駅いわき・ら・ら・ミュウで開催された「いわき七浜おさかなフェスティバル2026」で、アンコウの吊るし切りが目玉イベントに企画され、鈴木さんがマイクを握った。
震災・原発事故前から魚食普及は大きな課題だった。水産庁によると、1人当たりの魚介類の年間消費量は2001年度の40・2kgをピークに減少傾向にあり、11年度には肉に逆転された。24(令和6)年度は21・4kgにまで落ち込んでおり、1日当たりに換算すると刺し身4~5切れほどだ。
いわき魚塾は発足にあたり、「僕たちの職業は魚を消費者に食べてもらって成り立っている」と改めて定義づけ、いかに食卓に並べてもらうかに取り組もうと意気込んだ。このころは原発事故に伴う風評が色濃かったが、試験操業を経て本格操業に向けた移行期間に入る中で、安全性の確保とおいしさが自然と打ち消した。
自分たちも専門家として常に学びを深め、福島第一原発で生じた処理水の海洋放出が取りざたされると、経済産業省の担当者を招いて勉強会を催した。
鈴木さんは「前浜(沿岸漁業)の魚は自信を持って送り出せる」と胸を張る。ただ福島県沖の漁獲が伸びないため、地元での取り扱いを広げることの難しさも指摘する。県漁業協同組合連合会(県漁連)のまとめによると、昨年1年間の水揚げ量は前年比8・5%増の7205tで、原発事故以降では最多を記録。しかし原発事故前年の10年と比較すると、27・8%と3割にも届かない。
いわき魚塾では設立に際して「この魚を孫のそのまた孫の代まで残したい」とも掲げた。海とともに生きるひとりとして、鈴木さんのたぎる思いに変わりはない。
(写真:軽妙にアンコウについて紹介する鈴木さん)