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東日本大震災きょう15年 妻と娘亡くした鈴木さん「ふたりの分まで生きる」
2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災から15年を迎えた11日、いわき市では犠牲者を追悼する式典や行事が執り行われた。地震発生時刻の午後2時46分に合わせ、亡くなった人たちに黙とうがささげられ、市内各地が鎮魂の祈りに包まれた。
いわき市は震災によって、最大で震度6弱の揺れ(気象庁の震度推計分布図によると、局地的に震度7相当の揺れがあったとされる)に見舞われたほか、沿岸部は津波に襲われ、平豊間では高さ8・57mを記録した。震災による死者は468人(直接死293人、死亡認定を受けた行方不明者37人、関連死138人)。
市主催の追悼式はいわき芸術文化交流館「アリオス」で行われ、遺族12人を含む関係者ら80人が参列した。
参列した遺族のうち、平豊間の鈴木順一さん(68)は「改めて15年前の記憶が現実のものとしてよみがえってくる」と語る。震災では妻・富士子さん=当時(52)=と、長女・夏美さん=同(19)=が、帰宅途中に平薄磯で津波に巻き込まれて亡くなった。
「娘は7月にちょうど20歳になるところだった。いつか結婚して子どもが生まれ、家内と一緒に孫の面倒を見るんだろうと思っていた」
自宅は高台のため津波の被災は免れた。ふたりが津波に飲み込まれたとはつゆとも思わなかったものの、夜になっても帰ってこない。震災から4日目の3月14日、意を決して捜索願を出した。
3月25日に薄磯でふたりが乗っていた車が見つかった。やがて知り合いの消防団員から「(近くの寺院の)修徳院に若い女性の遺体がある」と連絡を受けた。無我夢中で走っていくと、最愛の娘の夏美さんとすぐ分かった。
富士子さんの行方はつかめないままだったが、6月に入って一報が届いた。いわき中央署に赴くと、服装から間違いないと直感。DNA鑑定の結果、富士子さんも帰ってくることができた。
災禍から15年。「夢の中でいいので、家内と娘に会いたい」と明かす。いつまでも続くと思っていた家族との生活が、あの日打ち砕かれた。
ただ落ち込んでばかりもいられない。富士子さんと夏美さんの写真を手に、「家内と娘のおかげで幸せな毎日が送れていた。これからも感謝の気持ちを忘れずに、ふたりの分まで頑張って生きていく」と前を向いた。
(写真:市主催の追悼式で献花する鈴木さん)