その短歌に心ひかれたのは20年も前のことだ。「やまなみのきわまるところ雲いでゝ むらのはづれは川に続くも」▼沼部町――。鮫川沿いの白鳥飛来地として知られる。町は川と山に挟まれた狭い平地に静かに佇んでいる。その町の鎮守・北野神社の鳥居わきに立つ風化の激しい小さな歌碑にこう刻まれていた▼作者は諸根慶子という。父親は郷土史家としていわきの文化にその名を残した沼部出身の樟一。平に生まれた慶子は父母とともに東京へ転居したが、10代の後半は太平洋戦争の悪化の時期と重なり、無理がたたった慶子は病魔に侵されてしまう。その養生のためたびたび父の実家を訪れ、愛する祖母らと束の間の心穏やかな日々を過ごした▼慶子は25歳で病死するのだが、彼女が遺した1冊の歌集には、病身をやさしく包んでくれた沼部町のことが数多く詠まれている。勿来関文学歴史館が3月に慶子のことを取り上げてくれる。多くの人に知ってほしい展示だ。