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勿来の関近くに城跡発見 いわき地方最南端の新たな要衝か 今後の調査に期待

 勿来の関公園近く、勿来町関田字関山地内の山林に、中世(室町~戦国時代)のものとみられる城館遺跡が見つかった。
 過去に茨城県から委嘱されて同県北地域における中世城館跡などの調査員を務め、栃木県大田原市の学芸員として歴史研究にも携わる山川千博さん(43)=勿来町窪田=が偶然発見した遺跡で、陸奥、いわき地方では最南端に位置する。
 資料や伝承はまだ確認できず城主などは不明だが、城郭を構成する曲輪群などが残り、いわき地方史研究会(大竹憲治会長)が先ごろ発行した「いわき地方史研究 第61号」で発表された。陸奥と常陸国の境を抑える要衝とも考えられ、今後の調査が期待される。
 山川さんと市教育文化事業団によると、いわき地方には240から250ほどの城跡があるとされるが、その多くが手つかずで、古文書や伝承などの資料収集、縄張図など調査が進むのは30~40あるかないか。
 今回見つかった「関田関山城跡」は、これまでいわき地方でも最南端とみられていた、旧関田宿の西側崖上の関田古館跡から南方に1kmほど進んだ山中に位置する。
発見のきっかけは、同公園で2022(令和4)年12月に行われたNPO法人勿来まちづくりサポートセンター主催のトレイルイベント。山川さんの家族が参加し、コース内で偶然撮影した「関の大岩」が、「どう見ても城跡の『堀切跡』にしか見えなかった」ことにあった。
 その後実際に現地に足を運んで調査したところ、城館遺跡であることが分かり、茨城城郭研究会のメンバーとともに縄張調査を実施。同所からさらに南に1kmほど進むと、陸奥と常陸国境を超える峠道「(近世)の勿来切通し」があり、国境を越えてすぐに関田関山城跡が立ちはだかるという位置関係があることが分かった。
 城跡の規模は東西約150m、南北約120mで、東西の端に曲輪群、東側に大規模な堀切が見つかり、太平洋に突き出す東の尾根の「関の大岩」のある場所は物見に優れた立地のため、陸海両路を監視する役目を担っていたことが想定されるという。
 一方、西側の曲輪群は急斜面と竪堀、縦土塁状の尾根の張り出しを組み合わせた徹底した防御遺構がみられた。
 これらから国境の要衝と考えられ、山川さんは「文献や口伝などが(現状では見つかって)なく、ほかの館跡との関連性なども踏まえ今後調査すべきことは多い。トレイルコースに付加価値を付けたり、『地域の宝』として大事に残していってほしい」と語る。
 (写真:新たに分かった大規模な堀切=山川さん提供)

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