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長嶋茂雄さん死去 いわき市とのエピソードも 復興願い「がんばれ」と色紙寄せる
プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。89歳だった。
長嶋さんといわき市とのエピソードのうち、ヨークいわきスタジアム(いわきグリーンスタジアム)の1階事務所前には、長嶋さんから寄せられたサイン色紙が飾られている。
「がんばれ 長嶋茂雄 3」。スタジアムを管理・運営する市公園緑地観光公社によると、東日本大震災が発生した数カ月後に市に寄贈されたといい、脳梗塞で倒れた後、懸命なリハビリにより利き腕の逆の左手で書かれた文字とみられる。
不屈の精神を幾度も体現してきた長嶋さんらしいメッセージで、復興に向けて必死に歩みを進める職員やスタジアムを利用する市民たちを大いに勇気付けた。
長嶋さんはスタジアムのこけら落としとなった開場記念試合、1995(平成7)年3月23日のプロ野球オープン戦「巨人―西武戦」で、原辰徳、松井秀喜さんらスター選手を擁する読売巨人軍の監督として初来場した。清原和博、デストラーデさんら強打者ぞろいの西武ライオンズを7―6で退け、詰めかけた約2万5千人の観客を大いに沸かせた。
当時18歳だった同公社施設管理課長の鈴木忠晴さん(48)は、同僚と一緒に哀悼の意を示すとともに、長嶋さんの印象を「テレビで拝見していた通りの方で、ピリピリムードは一切なくベンチ裏でも気さくな感じ、自然体で過ごされていた」と振り返りつつ、「もの凄い声援だったのを覚えている」と懐かしんだ。まさに日本を代表する『スーパースター』の降臨だった。
(写真:ヨークいわきスタジアムに飾られている色紙、巨人監督として95年のオープン戦で来市した長嶋さん)