酷い揺れが終わるや否や双眼鏡を抱え、自宅から直線距離で150mほど離れた薄磯海岸に向かった。すると慣れ親しんできた海の情景が一変していた。
水深10~15mはある海の底、普段は海面下の暗礁と磯場が丸見えだ。血の気が引いた。必死になって、今来た道を引き返した。
自宅前に妻と77歳、92歳になる近所の知人がいるのが見えた。「天狗様(自宅裏山の古峯農商神社)に逃げろぉぉ~!!」
声を振り絞った。そこから記憶が途切れ途切れに。神社へと続く急な階段を10段駆け上り後ろを振り向くと、津波に押し出された建造物が顔前にあった。まさに間一髪、命からがらだった。
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いわき語り部の会の会長を務める薄磯の大谷慶一さん(77)は、つい昨日のように記憶を掘り起こした。
かつてはカツオ船を持つ裕福な家だったが、父を早くに亡くし、母子家庭で育った。大谷さんにとって海は家族を支える、生きていくために必要な宝の海だった。
震災で命の危険にさらされても顔見知りの多くが亡くなり故郷が荒れ果てても、心は酷く痛んだが、海を恨むことはなかった。震災後にさら地となった故郷では、自宅のあった以前の場所から100mも海に近い平地に新居を構えた。
妻の加代さん(73)を『天狗様』に残し、波の引いた瓦礫の山に突っ込んだ。必死になって波に飲み込まれた住民を探し続けた。
一緒に逃げた77歳と、大谷さんが背負っていた92歳の知人は海にさらわれた。夜中まで捜索作業にあたったが、天狗様に戻るまで何をしたか、どこにいたか、記憶が定かではない。
地震直後、豊間小から泣き叫びながら自宅に戻る女児に「気を付けて帰れよ」と声を掛けたことを後悔した。学校に戻るよう促せば。女児は行方不明に。命を救えず、自責の念が生まれた。
この記憶を後世に伝えないといけない。そして語り部となった。「海は恵みの海。一番癒される場所。嫌いになんてなれやしない」。大谷さんは今も1日に3、4回は自然と海を眺めに行く。
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11日で東日本大震災から15年を迎える。いわき民報社は、市民一人ひとりの心の中に流れる「波音」を伝えていく。(ウェブでは本紙の抜粋となります)
(写真:震災から15年を振り返る大谷さん)
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震災15年 いわき語り部の会・大谷慶一さん「海を嫌いになれない」






