ニュース
震災15年 被災乗り越えかまぼこ作り続ける 丸貞蒲鉾・小野英教さん
3・11の津波ではいわき市の基盤産業の一つだったかまぼこの製造工場が大打撃を受けた。平薄磯にあった丸貞蒲鉾合資会社(小野英教代表社員)=平神谷作=もその一つ。同業の仲間が次々に工場の閉鎖を決めるなか、新天地で再起を図った。
再起から15年を迎える工場には、2年前に亡くなった創業者の父・小野貞夫さんが撮った故郷の海の写真が飾られている。英教さん(64)=中央台=は「売り上げは震災前の9割まで回復した。自分でもよくここまでがんばったなぁと思います」と激動の日々を振り返る。
かつては大量生産の「リテーナ成形かまぼこ」で生産量日本一を誇ったいわきの紅白かまぼこ。丸貞蒲鉾は、かつて伝馬船を繰り、ウニ・アワビ漁に勤しんだ貞夫さんが親せきにのれん分けをしてもらう形で1968(昭和43)年に創業した。
自宅兼工場から海まで100mほど。3月11日は工場で仕事をしていた。激しい揺れの後、従業員を自宅に帰し、隣近所と話しながら工場の被害状況を確認していると、津波の到来を察知した。
鉄筋製の建物は衝撃に耐えたが、壁が崩落し始めたため、自宅に残っていた当時高校生の次男や父、妻ら家族に声をかけ、工場の屋根に上って屋根伝いに、高台にある神社まで避難した。
被災当時、英教さんは49歳。「弟と二人でかまぼこ屋の仕事しかしてこなかったので、他の選択肢はないと再開を決めました。1シーズンでも休業してしまうと取引先との関係が切れてしまうので、何年もかかる地域の復興を待っているわけにいかなかった」
生活の基盤を中央台に移し、工場は薄磯から近くの廃工場に決めた。急ピッチで内装工事を行い、その年の10月に営業再開。薄磯時代の従業員を呼び戻して、年末の繁忙期を乗り切った。
再開を後押ししたのは、苦楽をともにした地元の同業者たち。「無事だった機械を譲ってくれ、励ましてくれた。感謝しかないです」。年間を通して安定生産できる自社ブランドの「だて巻き」のほか、外注のOEM製品を増やし、売上を回復させていった。
高額な大型機器が必要な「リテーナかまぼこ」が製造できなくなったのは痛手だが、素材の味を生かした「蒸しかまぼこ」を丁寧に作っていこうと方向転換した。
昔からの習慣で、ただ理由もなく海を見にいく。「残念ながら父のような写真は撮れませんが」。故郷の海に心癒されながら、次の世代にバトンを渡す日まで、小野さんの奮闘は続く。
(写真:移転先の工場で震災15年を迎える小野さん)