自分で呆れるくらい音に聞こえた親不孝者だが、お釈迦様の慈悲に預かりそうだったカンダタと同じように、1つや2つ、母親に褒められたことがある▼1つは東日本大震災のとき、朝6時からスーパーに並んで限られた数量の食料―中でも特に要望された鶏卵―を調達したり、飲料水が貰えると聞くと市規格のごみ袋を大きな紙バッグの中に入れた即席のバケツを持って並んだ。「あん時は世話になったもんなぁ」と後々お褒めに預かったのである▼もう1つは小学生のときの『母の日』に、小さな体で農作業にいそしむ母にキュウリのタネを贈ったこと。そのことを抄子が50歳ぐらいのとき、親戚連中が集まった中で突然話し合めたのだから本人が一番驚いた。どんな心境だったのだろう▼あすは「母の日」。94歳でひとり施設で過ごしている母は、認知症から、もはや親不孝の息子と以前のように話すことはない。今年が最後かもしれない母の日にどう感謝しようかと思う。
片隅抄